『諏方社事』(真福寺本『古事記上巻抄』より)

『古事記上巻抄』とは

愛知県名古屋市にある真福寺宝生院(大須観音)所蔵の『古事記上巻抄』は、『古事記』の国譲り神話の一部の抄出文と、『諏方社事』と題した『先代旧事本紀』(第3巻 天神本紀)の国譲り神話の一部の抄出文からなる文書である。

両方とも建御名方神が洲羽の海に到り国を譲ると誓う場面の引用文であり、信濃国一宮諏訪神社(現・諏訪大社)の資料として整理されたものであると考えられる。

興味深いことに、後半の『諏方社事』では建御名方神が武甕槌神との力比べで負けて命乞いをするという建御名方神にとって不都合な場面が削除されている。

当文書の成立年代に関して、橋本進吉氏は

編者及筆者共に詳ならず、書写年代亦明に知る事能はざれども、書風用紙等より観れば、おそらくは鎌倉末期なるべく、遅くも南北朝を下らざるものなり。

と述べたが、小野田光雄氏(『古事記・釈日本紀・風土記の文献学的研究』、続群書類従完成会、1996年)は『古事記』の引用は卜部本系統の特色を持っていることや、その訓点が『日本書紀私記』(乙本)や卜部兼方書写の『日本書紀(弘安本)』と共通のものであることから、南北朝時代に諏訪神社の縁起書(後の『諏方大明神画詞』)の作成に当たって調査を行っていた諏訪(小坂)円忠の問い合わせに応じて、卜部兼方の曽孫に当たる卜部兼前が著したものであると提唱した。

実際に『画詞』(第1巻 縁起 上)では『諏方社事』と同様に建御名方神の敗走の場面が省略されており、あたかも自分の意志で諏訪に鎮座して国を譲ったと描かれている。

なお、『古事記上巻抄』は諏訪円忠の調査に際して卜部兼前が編纂したものという小野田氏の説に対して、間枝遼太郎氏(「『先代旧事本紀』の受容と神話の変奏ー神社関連記事の利用をめぐってー」『國學院雑誌』121 (10)、2020年)は、

園太暦』所収の〔円忠と卜部兼豊・兼前らとの間の〕一連のやりとりの中には、『旧事本紀』の書名は見えても『古事記』の書名は見えない。また、『上巻抄』の中の『古事記』と『旧事本紀』はテクストの性質や引用態度がそれぞれ大きく異なる。それらを考慮すると、小野田氏の推論のように『上巻抄』そのものが円忠の問い合わせに答えるために作られたものであったと見ることができるかは疑問が残る。(pp. 50-51)

と指摘しており、

『上巻抄』に見られる『旧事本紀』抄出文のような省略がある何らかのテクストを、平野流の兼前か吉田流の兼豊が用意しており、それを円忠が入手して参照した結果、『画詞』の中の『旧事本紀』引用も〔建御名方神の〕逃亡や命乞いの記述が省略されたものになったと考えられるのである。(p. 52)

という見解を述べている。



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